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2014年8月8日 at 10:39 PM

日生学園第二高校|副学寮長ダウンタウン浜田雅功の獄中のような高校生活

2014/8/6 水曜日のダウンタウン 全国の過酷学校を一斉調査

 

 

三重県の山奥にある全寮制の高校 日生学園第二高校。

 

1981年入学の今田耕司さん。

便器を素手で磨くのは伝統でした。普通素手でしょ?違います?

そして校長先生の話を聞くとき、ちょっとでも目線を逸らせたら、校長先生が壇上からパッとその生徒を指差すんですよ。そしたら先生方がすすすって両脇から近寄っていて連れ出されて・・・ぺちぺちぺちって・・・

 

学校の規則で甘いものとかお菓子類は一切禁止なんです。なので砂糖とか貴重なんです。外から帰って来るとき、身体検査とかどこの学校でもやってると思うんですけど・・・お菓子とか持ち込む場合工夫して持ち込まないとダメなんで、僕は生活用品は親から送って貰えるんで、手紙の中に「枕の中に砂糖を仕込んで送ってください。砂糖の袋を枕の綿の中に入れて送ってください」と。

僕の場合はいちごみるくのキャンディーを枕の中に入れてもらって、成功したときは仲良くしてくれている皆さんにいちごみるくを持ち込むのに成功しましたと配るんですよね。

 

あと、月に1回面会日があって、そのときに山の中に親が会いに来るんです。これ学校の話ですよ?そのときだけ山の中で親と自由な時間があって、そのときによくケーキを手渡しでもらって、山陰でケーキを口に突っ込むみたいなね・・・

 

 

寮内の上下関係では、夜皆寝静まったときに、トイレに呼んでいただいてご指導をいただいたりとか。「こういうところはあかんぞ」みたいに。お腹に蹴りとか。

浜田さんは副学寮長なんで、雲の上ですよ。浜田さんの場合吉本入ってから僕にやってましたからね。風邪薬買ってこい言われて間違えたら思いっきりどつかれてました。

PL学園

 

1年生のとき脱走を企てて、見つかるとすごい怖いから・・・・まず電車に乗るためのお金を持ち込まないとダメなんです。身体検査ではパンツのタマの裏に小さく畳んで持ち込みました。

で、10月くらいにもうこれはあかんと思って、消灯してから体操着のまま、見回りもしているんで1階の便所の扉を開けて山道を降りていくんですけど、最寄り駅だと、そっち方面で有名な学校だったんで駅員に通報されるんです。

「また逃げましたよ」みたいに。なので、野宿しながら2山くらい越えて家に最後帰りました。

 

帰ったんですけど、学校から「辞める手続きするんで一度学校に来てください」と言われて行ったら、先生にすごい目をかけてくれていたというか、「お母さん、これから学校を続けると言うまでこの子を殴ります」言われて、5,6発くらいで続けます言ってしまって、しばらくまた学園生活を続けました。

結局冬休みの帰省の際に、学校を辞めました。

 

 

浜田

「当然素手で便器掃除しますし。なんか付いていたら、爪できゅきゅきゅみたいな。」

松本

「卒業したのはすごいんですけど、1回浜田脱走しています。俺のとこ電話してきて、鶴橋の駅までお金もって来てくれ言われて、行ったらおなかもすごい減ってたんやなぁ。立ち食いうどん屋に連れて行ったら、・・・今でも忘れませんよ。一すすりでっずるっと1杯食べましたからね。すごいんやなぁと思いました。

だから世の中のことをまったく知らなくて。夏休み帰ってきたとき、おいまっつん、歯磨き粉が三色になってるぞ?歌手で顔黒く塗ってるやつおるぞ?みたいな」

浜田

「情報まったく入らなくて、月に一回坊主にするときに、新聞紙を敷いてバリカン係に順番でやってもらうんですけど、その際に、おっ!裕次郎入院したでみたいなね。そこで情報を得ていました。本当にわからないんです。

思春期は、今田がいうとったみたいに帰省で家帰れるときもあるし、なんとか隠し持って入るんですよ。当為畑中葉子が裸になったのを切り取って、持ち込んでトイレの鏡の裏に隠して、夜中になったら皆せんずりしてましたよ。

畑中葉子

 

今はもう普通の学校と変わらないみたいですが、当時は遠足も修学旅行もなかったので、外部の人と接触する機会はありませんでした。よっぽど悪いことしないと足かせは付きませんでしたし。

当時は帰省から戻ってくるのがいやで、醤油をコップ1杯飲んだりとかもしましたね。熱が38度くらいきゅきゅっと上がるんです」

 

松本

「PL学園とか、柔道とか、スポーツならまだわかるんです。浜田さんはね。なんにもしてないのに同じくらい過酷な学校生活をしてましたからね。何が残ったんだと。後輩どつくくらいしかないですからね。

とくに年齢の1個違いとかには敏感で、1個でも年下だとわかると、先に芸能生活に入っていようがすぐ呼び捨てでしたから」

 

 

◆90年代までが酷かった

当ブログ管理人は、素手で便器は小学校のときにやってました。ただ特権みたいな感じで女子のトイレも掃除できるんです。女子の生理用品の片付けとかも込み込みで素手で掃除してました。

そのフェチシズムは後々まで残るのであれは男子便所だけにしたほうが良いと振り返って感じます。

 

 

2013/8/17 yahoo!知恵袋 壮絶!90年までの日生学園

 

みなさんは日生学園という高校を聞いた事はあるでしょうか?

当時の東海・関西圏ではスパルタ学校として、またダウンタウンの浜田さんの出身校としても有名でした。
今はだいぶ変わったみたいですが90年までのあそこはそりゃあ厳しい学校だったんです。

あの学校を形容する言葉として強制収容所、陸の戸塚、リアル男塾なんてのもあったくらいです。

これを書いたから、読んだからどうなるってわけではありませんが「こんな学校もあったんだ 」って意味を込めて書いてみます。

第一~第三まであり第一は三重県上野市、第二は同県一志郡(現津市)白山町、第三は兵庫県にあり第二内に幼稚園と 中学まであり(当時)幼稚園以外は全寮制で第一と第二は山奥にありました。

第一は男子校、第二は共学で第三は多分男子校でした。

一日のスケジュールは水曜と日曜以外は朝4時起床。

点 呼、洗顔、着替え、清掃 を兼ねた心行(しんぎょう、と読み、これは学校独自のもので雑巾を持って足を大きく広げた状態で一心不乱に大声を張り上げながら床を磨く”ぎょう” で す)を各部屋で10分くらい、その後各階でも10分くらいやって全校生徒全員が道場(体育館) に集まり約1時間心行する。

帰寮前に点呼 寮に帰り点呼、汗を拭いて制服に着替える、集団登校、食堂前に集まり

国旗、校旗掲揚(雨天は無し)食堂に入って朝食、校歌を歌う。

授業は午前4時間、昼食、午後1時間の計5時間。
放課後
集 団下校、点呼、ジャージに着替え清掃を兼ねた心行。集団マラソン(正確のは分からないが約4km、山道を校門まで 行って帰ってくる) 帰寮、点呼、清掃を兼ねた・・・、自習、階ごとに順番に風呂、(部活をやってる者は放課後からここまで免除)食堂前に集まり国旗・校旗降納(おろす)、夕 食、大抵なにかしらの歌を歌う。帰寮、点呼、自習、間食として牛乳とアンパン等のパンが出る(ちなみにタカツキパンという会社製)、自習、消灯。
これが一日の流れですが、自由時間は?と思われるでしょう。そんなものは基本的にはありませんし、本来は授業の休み時間、食事中、含め24時間私語禁止です。
とは言えお目こぼしなのかしょっちゅう喋ってましたがたまに怒鳴られたり罰として正座や心行わさせられたりしました。

さらに新聞、TV、雑誌、ラジオ、何もありません。 一切の娯楽が禁止だからです。

禁止されてましたが下敷きでトランプや麻雀を作ったりして遊ぶ場合もありましたし(没収される事もあり)何も楽しみが無いのでいじめも娯楽の一つになってました。
補足としてあの学校の教育理念は”全力” だったので移動は集団で大声を張り上げながらの駆け足、歌も大声、休め、気をつけも床を踏み鳴らしながらです。
また掃除でも時たまですが素手で便所掃除をしたりしました。
これは素手で道具を使うのではなく、文字通り素手で便器を磨くんです。

 

前回は一日のスケジュールを書きましたが今回は日曜のスケジュールと寮生活について書きたいと思います。

日曜は朝7時起床です(普段が4時なのでこれでも嬉しかったです)
点 呼、洗顔、清掃を 兼ねた心行(しんぎょうと読みます)15分くらい、全員食堂に集まり朝食、校歌等歌う、帰寮、自習、昼食(日曜の昼食は食堂ではなくパンが配られます)ま た自習ですが大抵は短い昼寝をさせてもらえます(短いと仮眠、長めだと誤睡)、自習、夕食、自習、間食のパン、自習、消灯。

これが何も予定が無い日曜のスケジュールです。

日曜で休みだからと言って自由時間があるわけじゃないです。

あの学校は普通の学校にはある修学旅行、学園祭、体育祭、が一切無く、代わり(?)に月一回マラソン大会がありました。

やる時は日曜の午前中だったのでその際は午前の自習はありませんでした。これのせいでたまに放課後、夕食までずっと走らされたりもありました。

また毎日曜ではありませんが、月一くらいで団体訓練ってのがありました。
これは吹奏楽部の太鼓に合わせて陸上のトラックを回ってやるやつで体育祭とかに見る入場行進を駆け足でやると思ってもらえれば分かりやすいかもです。
団訓もそうですがマラソンのラスト部分や普段の駆け足も腿(もも)を90度まで上げて走るのがあの学校の方針です。これを教師が見て「合ってない」「たるんでる」と思われれば延々と走らされます。

整列が終わると”全力体操” なるあの学校独自の体操をします。
日体大の「エッサッサ」みたいな感じですが、今人前でやれと言われても恥ずかしくて出来ません。

寮生活ですが、一部屋最高で48人まで入り、一つの階に四部屋。 そこは1年から3年まで一緒なので下級生はとても気を使います。

例えば3度の食事や間食は先輩が口を付けるまで下級生は食べ始められませんし、洗濯物は当然一年がたたんで衣装ケースにしまいますし、布団も一年がたたみ一年は湯船につかることも許されません

基本先輩の命令に対して、「出来ません」「嫌です」なんてのは御法度で、無茶な命令(他の階の部屋から○○を盗んでこいなんての)でも同じでとりあえず行くだけ行って無理だったんでその命令を取り下げて欲しい的なことをお願いするしかありません。

もちろん許してくれる場合もありますが、殴られる場合もありますし、なんらかの体罰を貰ったりもありました。
先輩からもそうですが教師からの体罰も日常茶飯事でした。

今では考えられないかもしれませんが あの時代は教師の体罰はどこの学校でもありました。私が教師にやられたのはパイプ椅子で何発のどつかれたり、一晩中正座させられたり、腕を肩からまっすぐ上げてそのままの姿勢で「動くな」ってのもありました。
また先輩からは正座をしてホウキみたいな棒を足に挟んでその上に人が乗るとかホッチキスを開いた状態で叩く(肌に針が刺さります)とか普通の暴力なんてのもやられました。
この体罰のせいで私は何度も血尿が出たのを覚えてます
ひどいとある先輩が国旗掲揚の時に教頭から叱られていて、ベルトを引き抜き金属のバックル部分で頭をぶっ叩かれて血が流れていて横にいた女生徒がハンカチで押さえようとしたのにそれをさせずに説教を続けた。なんてのもありました。

変わった風習と言えば、まず思いつくのが何かあれば見張りを立てるってのがあります。
自習中に遊んだり、禁止されてる事をする時には必ず下級生を立たせたものです。
私も何回見張りに立ったか分からないくらいです。
あと病気の時ですがよっぽどじゃないと病院へは連れて行ってもらえません。
風邪で熱が出たら教師の前で体温を測り、38度を越えないと休めません。
私が体験した事ですが、ある雪の日熱が出たので教師の前で体温をはかりましたが37・8くらいしかなく、そのまま雪の中のマラソンをやりました。

帰って少したつと視界がゆがみ始めました、やばいと思いもう一度体温を測ると40度くらいの高熱になってやっと休ませてもらえました。

それでも病院へは行かせてもらえず市販薬のみでなんとか熱を下げました。
今思えばよく肺炎にならなかったな・・・と思います。

前回でも少し触れましたがいじめも普通にありました。
同級生からと先輩からのいじめ両方あるのですが、基本は暴力や上記の無理難題が多かったです。
一応下級生への暴力は禁止されていたので顔を殴ったりは少なかったです。

(顔が無いだけで他の箇所への暴力は普通にありました)
普通の学校なら基本学校内だけでしょうが、寮生活なのでその気になれば24時間いじめられたりします。

ある生徒は消灯後に毎晩何人もの先輩の マッサージをさせられてました。

ただでさえ毎朝4時起床なのに毎晩12時くらいまでやらされたり、時には先輩が眠ってしまって起床時間までずっとさせられたりもありました。

眠ったら止めればいいのにと思うでしょうが、それをやった次の日に「お前ゆうべ誰が止めていいって言った?」って言われればそうなるのも仕方ない状況です。
もし先輩にはむかったりすればどうなるか・・・みんな分かっているからそうするしか無いんです。

そんな学校なので脱走、自殺、なんてのもあります
自殺に関しては毎年まで多くはないですが、今まで何度もありましたし、脱走なんかは2ヶ月に一回くらいはどこかの寮でありましたし私も一回成功させてます。
学校から出られるのは夏、冬、春休み、校外の病院へ行く(許可制でなかなか降りない)部活の試合くらいしかないので 追い詰められれば逃げたくなるのは当然です。

今の学生さんには考えられない でしょうが全部実話です。

 

前回でも少し触れましたが今回はあの学校独自の変わった風習を書きたいと思います。

まず授業中ですが机の脚の床に近い所をぐるっと回して付いているパイプ(今は少ないかも)があるんですがそこに足を乗せたりそこより外に足を出してはいけない。
授業の休み時間はトイレに行く以外で席を離れてはいけない。
「予習復習をやれ」と言われて私語も禁止(とは言え普段は喋ってましたがたまに怒鳴られました)

学校の歌が10曲あり(校歌、応援歌、寮歌、等)入学して3日で暗記させられる。
ほとんどの歌を歌う場合、腕を振りながら大声で歌う。
返事は基本大声、この返事と歌で入学して3日くらいで大抵の人間は声が枯れ、その後も何回も枯れるので声が潰れている生徒は多数いました。

制服は普段の制服と帰省用の制服の2種類あって、普段は下はズボン(女子もです)上は薄いブルーのYシャツ、ネクタイ、上着として短い特攻服みたなので、帰省服は下はズボン(女子はスカート)Yシャツは同じ、普通のブレザーに銀のネクタイ(これが恥ずかしかった)。
ちなみにこのズボンですが前ポケットがついてません。
ポケットに手を入れるのは危ないとか見た目が悪いとかの理由だと思います。
校内では制服以外はジャージ ですが、靴、靴下、も学校指定でした。(外で買うと1500円の靴にロゴを入れたのが3~4千円”正確な数字は忘れました”)、下着は白のみ可。

食事中の下級生は気が抜けません。
先輩のお茶が無くなれば注ぐし、先輩が食べ終えたら箸立てを差し出したり、先輩のお代わりを取りに行ったりと何かと忙しかったです。

男子生徒の髪は五厘(一番短い坊主)で生徒同士で刈りますが電動バリカンが数台しかなく一年は手動を使ってましたがよく噛んで痛かったです。で、散髪後に流すのですが真冬でも水でした。(冷たいと言うより痛いです)。
冬場になると朝の心行前に風呂場で水垢離をさせられました。たしかにものすごく冷たいですが、そのおかげで外の出ても体は温かく感じました。

生 徒は現金の所持が禁止させられていたので文房具等買う場合は購買部を利用するのですがその際購買帳に必要な物を書き、朝担任に提出。担任がそれを見てOK と判断した品のみ買える。(先輩やら同級生に無理やり買わされるのを防ぐため)代金は各親が生徒ごとにお金を学校に預ける校内の口座みたいなのから引かれ ます。

前回なかなか病院に行けなかったと書きましたが、市販薬はどうしていたのか・・・
一応保健室があって、そこに買いに行くしか無いのですが行けるのは授業の休み時間のみ(放課後は行く時間が無い)、しかも一人づつでなかなか順番が回ってきませんでした。
これも欲しいから買えるではなく養護教諭の許可制です。

普通の高校なら飲み物の自販機はあると思うのですが現金の所持を禁止されているため自販機は一切ありません。飲めるのは水道水、熱いお茶、間食の時の牛乳のみで、夏場でも冷たい物は無いので帰省をするとまず冷たいコーラを・・・てのも何人かいました。

言葉はある種独特でした。
全校生徒の3割が愛知県出身、5割が関西圏(そう言われていましたが正確なところは不明)残りが他県なので色々混ざったみたいな言葉でした。
例ー「なんだと?」は関西弁の「なんやと?」に近いですが「なにや?」って感じです。

普通の生活なら絶対使うであろう”雨具” の所持も禁止されてました。
どんな雨や雪だろうと降られっぱなしでした。

学校に住み込みで働く 先生を教師、通いを講師と呼んでましたが、大人である教師も坊主頭で生徒より1時間早い3時(正確には不明)起床、生徒が  集まる前に道場(校内では体育館をそう呼ぶ)で心行を行う。教師もたまに教頭から殴られる。
一応個室を与えられ、喫煙、飲酒は構わないがヘタすると生徒よりも厳しい生活をしていたかも。
生徒の多くが不良 、問題児だったためか、武道有段者やいかつい教師が多かった。
真偽は定かではありませんが当時生徒間で教師の何人かは教員免許を持っていないとの噂がありました。

食事は最初はおせじにも美味くなかったです。
ぬるい(熱くはない)麦飯でたまに小石の混入も、冷めたおかず、  味付けも不評 でしたが空腹と慣れによって食えるようになりました。
食事中も私語禁止で、教頭がキレると途中でも箸を置いて説教を聞くのでますます冷めます。一度食事を中断して一時間以上の説教もありました。

一番変わってると思ったのはテストです。
テスト前日は消灯後の勉強が許されますが自由ではなく慣例的な強制でした。
皆そんなに勉強するなら赤点なんか少なかったと思うかもしれません。
確かに赤点は少ないですが別の理由があるからです。
講師は別ですが前日に教師が寮でテスト問題を発表してくれるんです。
生徒はそれを書き写して自分で問題を解きます(回答までは教えてくれないので )
解いた答えを丸暗記すれば良いだけなので赤点なんか取る方が難しいです。
たとえ自分が解けない問題があったとしても一部屋に48人もいるんです。しかも1~3年生まで。周りに聞けば誰かしら答えを教えてくれます。
教師がこんな事をする理由ですが 、点数が低いと教師自体の評価が下がるとか、もしかするとあまりに赤点が多いと教頭から「何を教えている?」って殴られるからかもしれません・・・
で、答えを丸暗記したから寝ようとしても、そうはいきません。
そんなことをしようものなら先輩の「お前絶対 に100点取れるんやろなぁ?」「寝てもいいけどもし100点やなかったら分かってるやろな?」なんて言われて結局ほぼ徹夜してました。
テスト当日だろうが朝の心行はありますので4時起床は変わりません。

校外に出るもう一つの方法として身内の不幸があります。
ですが決まりがあり、血液で1親等は危篤で帰れますが、2親等だと死なないと帰れない(祖父母、兄弟は死に目に会えない)となり、それ以上はなれた親戚だと死んでも帰れずお通夜、葬儀には出席出来ないので通常の帰省まで待たなくてはなりません。

今の学生さんが見れば信じられない事ばかりでしょうが、これは100%事実だったんです。

今回は生徒にとって最大の楽しみである帰省について書きます。

生徒は数日前から「あと何日で、何時間で下界だ~」と指折り数えてます。
下界という呼び方ですが、私のいた第二高校は山奥にあり、新聞、TV、等が無い隔離された状態だったので山の下プラス外の世界で下界と 呼んでました。

2日くらい前から男子は全員頭を丸めます(普段から坊主ですが帰省に際して新たに一番短い坊主にします)
どの学校でも夏休みには校則で禁止されてるオシャレをしたりはあると思いますがこれをやるとそれすら出来ないんです。
い じらしいと言うか諦めが悪いと言うか、その坊主頭の髪を少しでも長くしようと下敷きでバリカンにはさむ(刃の間にかます)のを自作したり後輩に作らせたり してそれを使うのがいましたね。それが出来るのは生徒間で多少は権力を持っているのに限りますし、教師が「お前長くないか?」でもう一回やられるのもいま した。

いざ当日ですがまず朝4時起床です。
心行(しんぎょう)、帰寮、清掃を兼ねた心行までは一緒ですが普段は制服に着替えるところを今日は帰省服を着ます。
前回で書いたようにお世辞にも格好良いとは言えないのですが、この時だけは嬉しいんです。

その後朝食をとり、食堂前に集合してマイクロバスで最寄り駅に向かいます。
毎回かならずバスが校門を出る瞬間に拍手が巻き起こります。
校門まで約2km、さらに駅まで15分くらいでしょうか(これだけでいかに山奥か分かると思います)そこから大阪とかの西に行くものと名古屋とか東へ行くものとで分かれます。
私は愛知で東ですので西に関しては知りません。
一旦名古屋で電車を降りるのですが駅で全員集合してちょっとした話があり解散です。
青い頭の銀のネクタイをした集団ですのでジロジロ見られて恥ずかしかったです。
ここから本来の休みが始まるのですが、一つ問題があります。
学校でもらえる物は名古屋から自宅最寄駅までの交通費のみです。そこから自宅がかなり遠いとバス代ももらえますが基本交通費のみで名古屋から近い者はまだしも数時間かかる者は大変です。 空腹でも何も食えずジュースすら買えないのでどこかで水道水を飲むしかないんです。
なのでせめて何か飲みたい、食いたいって理由で現金を隠し持っているのもいました。
中には学校まで親が、または名古屋まで親や友達が迎えに来てくれるのもいましたが多くはなかったです。

休み期間は、夏休みは短く3週間強くらい、冬は少し長く20日くらい(一般の学校に比べて)

当日ですが一般生徒と違い帰省準備ができない人達がいます。それはクラブに入ってる人達です。
普通の学校でも休みの期間に合宿とかあると思いますが、あの学校では1週間の居残りです。
全員が嬉しそうに帰省準備をしてるのを横で見ているしかないのです。
全員が出て行ったあとに着替えや布団を持ってクラブごとに決められた教室に移動してそこで寝泊りしながら練習します。
とは言え普段の生活とは違い、7時起床で親からのお菓子やジュースとかの差し入れも出来ます

帰省中は楽しい事だらけです。

朝4時に起きなくてもいい、遊べる、お菓子や冷たい物、甘い物、音楽、私服、美味い飯、

電話、趣味・・・普通の学生なら当たり前の日常がこれほど嬉しいとは、って思います。

普通の学生より良かった事が一つだけあります。

それは休み中の課題・宿題があの学校はゼロだったんです。

そのおかげて100%自分の時間となりました。

私は単車代や教習所代を稼ぐ為にバイトをしてました。

3週間の内1週間とか10日だけバイトしてあとは遊ぶかんじでした。

普通の学生なら普段でも働けますし、休み前にバイトを探すのも出来ますが、あそこの場合は休みに入ってから探します。さらに期間も短いし五厘の坊主頭なので探すのは大変でした

休み前に地元の人間に手紙で「何かあれば教えて」ってのが多かったですが、やはり肉体労働しか無かったですね。

 

休みが終わる数日前からまた指折り数えるわけです「あと何日でまた地獄か」って。
帰校日当日、足取り重く名古屋駅から近鉄電車に乗ります。
学校最寄駅を降りると胃が痛くなります。
学校に着き、寮に入る際に荷物検査(通称にもけん)があります。
禁止品を持ち込もうとするのが絶対いるのでそれのチェックですが見つかれば没収で返ってきません。文字通りの没収です。
生徒も色々考えて、バレない隠し場所を考えたり寮に入る前に窓から投げ入れたり裏からこそっと入ったり、山に隠して後で後輩に取りに行かせたりしてました。
私が隠し持っていたのは現金(札)だったので靴の中敷の下とかに入れてました。
教師に見付かったら校内口座行きですが先輩に見付かれば取られるのでそっちにバレないように気をつけてました。

その際学校に帰ってこないでそのまま辞めるのも数人いましたね。一年間で一~二クラス分(40~80人以上)も辞めるような学校ですから。

 

補足

生徒最大の楽しみと書きましたがどれくらい楽しみにしてたか?ですが

野球部が夏の選抜でいいとこまで勝ち進んだ事があったんです。

このまま勝ち進んで甲子園出場となったら全校生徒が強制の応援に行かされるって話が出たんです。

そうなれば当然夏休みが減る・もしくは無くなるかも?と噂が立ち「たのむから負けてくれ」と心の中で祈ってました。当然振り替えの休みなんてのは無かったでしょう。

もし1人の生徒が悪さして帰省が無くなったとしたら?

殺人事件になっても私は驚かないです。

別にオーバーに言ってるもりは無いですが、これくらい楽しみだったんです。

今回は嬉しい帰省についてだったのでタイトルの”壮絶”は当てはまりませんね。

次回その5では脱走につてでも書こうかと思います。

今回は脱走について書いてみようと思います。

その前になぜ脱走をするのか?
高校で脱走がある事自体おかしいのですが、まず理由から・・・

第三高校は知りませんので別として、あの学校は山奥にあります。
校門まで約2km、さらに最寄り駅まで車で10~15分くらい。
その間民家は少数です。
普通の学校なら「嫌だ、帰る」となればそのまま学校を出て駅から電車とかで帰れますがあそこはそうはいきません。
さらに生徒の現金の所持禁止・・・つまり逃げ道が無いんです。
例えばいじめですが、あそこはいじめが娯楽の一つとなってた所です。
普通の学校なら基本校内のみで家まで来ていじめられるは無いでしょうが、あそこの場合、その気になれば24時間いじめられます。
それに普段の厳しい生活や教師や先輩からの体罰、追い込まれれば逃げ道が無くても逃げるんです。

脱走の仕方。
現金の所持が禁止で交通機関は使えないのでヒッチハイクで逃げる者もいます。
現金を隠し持ってる者は電車を使えますが危険もあります。
朝4時起床、点呼となりますが、その際いないとなれば教師は即、最寄り駅まで車をとばし探しに行きますが当然始発はまだですのでトイレ等探します。
見つかれば連れ戻されて失敗となります。
また学校近隣には「生徒を見かけたら連絡して欲しい」旨を伝えてあるとの噂があり、学校付近でフラフラ走ったり、ヒッチハイクをするのは危険です。
中には知り合いに深夜こさせて(~時に校門で待ち合わせみたいな)逃げるのもいたらしいですがそれは地元が近場のやつ限定の技で、ほとんどが他県出身者なのであまり聞きませんでした。
成功率の%は残念ながら分かりませんが体感では50%くらいかな?と思います。

脱走後
成功しようと失敗しようと帰って来た生徒をまっているのは寮内謹慎です。
(中には教師から殴られる者も・・・)
これは普段生活してる部屋の外のフロアーに着替えと布団を出して寝起きします
冬場、部屋には暖房が入りますがフロアーはとても寒いです。
朝は1時間早い3時起床。
授業に出ないで一日校内清掃をします。
そんな生活を1週間くらい(初回は)すれば晴れてお許しが出ます。
(出たからなに?って感じですが・・・)

成功率もさほど高いわけでもなく、その先には謹慎しか待ってないのに脱走者は後を絶ちません。
少なくとも二ヶ月に一回くらいの頻度で起こります。

今の優しくなった校風でも脱走はあるのか分かりませんが、もし頻繁にあるとすればあの学校の本質が何も変わってない証拠かもしれません。

今回は違反品、禁止品について書きたいと思います。

あの学校の言葉で”エゴ” と言うのがあります。
欲しい、の物欲とか楽したい、楽しみたいの感情、これをエゴといいます。
学生ならカッコイイ服、彼女彼氏、流行の物、遊び、これらは楽しみであり話題にのぼることでしょう。
でもあの学校はこれらを”エゴ” と一くくりにして全て禁止もしくはやるべきではないとなるのです。
なので当然持ち込み禁止等となるのです。

新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、これらを禁止されてるので帰省で下界に帰るといつも浦島太郎状態となるのです。

髪の毛、男子は全員五厘(一番短い坊主)なので流行の服は当然似合いません。なのでヤンキー系、ヤ○ザ系が多くなります。
校内では皆同じ格好ですが外に出ると恥ずかしいとかの思いをしました。

飲食物は全て持ち込み禁止です。

校内で飲めるのは水道水、熱いお茶、間食にでる牛乳のみなので夏場の暑い時なんかは冷たい物が恋しく思いますが飲めません。
食べ物は食堂で出る食事と間食のパンのみ。
熱くない麦飯とまずく冷めた料理、実家の米が本当に光って見えて文字通り”銀シャリ”と思えます。
唯一間食で出る菓子パンが甘いものなんですが先輩に没収されたりもあります。

禁止品なのですが隠し持ってる貴重品でサッカリンというのがありました。
これは言わば化学物質なのですがほんの耳かき一杯分のカケラを牛乳にいれると甘くなるんです。そのままだと「甘すぎて苦い」味で、体に良いとは思えませんが持ち込むのがいましたね。

全寮制で普段は外出禁止なので当然遊びに行くなんてのは無理。
男女交際禁止なので彼氏彼女なんてのも無理。たとえ出来たとしても24時間自由時間が無いので二人で合うのも無理。

移動は全員そろっての駆け足なので傘禁止。
芸能人とかのグッズ(今でも文房具とかであると思います)、音楽関係(当時はカセット)禁止。
酒タバコは当然です(教師の吸殻が貴重品になります)

夏場の暑い時、エアコンどころか扇風機すら無いのに団扇も禁止です。
ビニールハンガーを団扇みたいな形に曲げて紙を張った自作の団扇を作ったりしました

遊ぶ為の物。例えばゲームとか・・・
もちろん禁止です。没収されたりもありましたが下敷きと画用紙でトランプや麻雀とかを自作したりする者もいました。
そもそも自由時間がゼロなので本来のルールを守れば遊ぶ時間なんか無いのです。

実家から送られる荷物や友人からの手紙も開封されチェックされ、違反品があれば没収で返ってきません。文字通りの没収です。

これら違反品の所持 が発覚すればどうなるか?
没収程度ならラッキーです。
「お前これはなんや?」「なんでこんなん持ってるんや?」となって殴られるのも日常です

ちなみに机やロッカーに鍵穴は付いてますが鍵自体を持たされてないので教師が勝手に開けて調べるのも自由に出来ますし、生徒間での盗難もあります。

どうでしょうか?
今の学生さんはこんな生活耐えられますでしょうか?
まぁあの当時でも普通じゃなかったですが今のご時勢で同じ事をすれば・・・・

この”エゴ” 当時の歌の「あぁ母校」というのの中に
♪ 物質、レジャーに惑わされ、エゴと争い、混乱のこの世の光たらんとて
心行、団訓、マラソンと鍛えし鉄の心あり。
という一節があります。
厳しい生活とエゴを排することで精神を鍛え上げるって意味ですが、全てにおいて”いきすぎ”  だったと思います。

 

今回はタイトルにある壮絶には当てはまりません。
「こんな事もあったな~」って感じで書きます。悪く言えば思い出話です。

いつもの厳しい生活の中で多少でも文化的にしようとしてたのか理由は不明ですが学校に国立(くにたち)音楽大学の声学だか合唱(オペラみたいなの)や日本フィルハーモニー(名前が正確かどうかうろ覚え)を呼んだり外人の講師を呼んだ事がありました。
国立にしろオーケストラにしろ普段から4時起床の睡眠時間が少ない生徒達にいかほどの効果があったのかは不明でした。
事実、椅子ではなく床に直に座って聞いていても半分くらいは寝てましたね(私も)
わざわざ来てもらって一生懸命やっている人の前で堂々と寝るって・・・失礼以外の何ものでもないですが、普段が普段なので・・・
国立が来た時に教頭が急に「日生合唱部集合」と言って壇上に上げて歌わせて専門家に「どうですか?」なんて聞いていましたが「ちょっと待て、うちに合唱部なんて無いやろ」って心の中でツッこんでました
そうですそんな部なんて無いのにわざわざ数人の生徒にその時だけの合唱部にさせて歌わせてました。あれにいったい何の意味があったんだろう???

あと思い出した事があります。
強制献血ってのがありましたね。
熱があるとかの生徒以外は強制的に献血させられるんです。
本来献血なんてのは自由意志でするものなのですがこの時は強制
へたしたら学校側は何らかの法的制裁が課せられる行為だと思いますが生徒はそんな事を言い出すのはいなかったのです。(心の中では思っていたかもしれないです)
逆に楽しみにしてる生徒もいたほどです。
なぜなら普通の献血でも同じですが、大抵ジュースとかがもらえますよね?
それがうれしいのです。前にも書きましたが普段学校で飲めるのは水道水、あったかいお茶、間食の牛乳のみなので冷たいオレンジジュースが飲める機会はこんな時しかないからです。
なさけないやら淋しいやら・・・
後々思えば、1000人以上もいっぺんに献血させる見返りを学校はもらっていたんでは?と疑いたくなってきます。

あと前回書けなった生徒の楽しみ。思い出したので書きます。
それは友人や親からの手紙です。
もちろん違反物が入ってないか調べられます。
前回書いてませんが写真も禁止品です。
普段TVもラジオも無い生活なのでこれには多少なりとも外の情報があったりして楽しんだものです。
ですが逆に落ち込む事もありました。
手 紙に「この前○○行ったんだ。」「○○のコンサートに行って・・・」「学校帰りにお茶飲んでたら・・・」「彼女が・・・彼氏が・・・」なんていう言わゆる 普通の高校生の楽しみが書いてあったりするんですが、それを読んで「何で俺はこんな事すら出来ないんだろう?」「なんでこんな生活しなきゃいけないんだろ う?」って思います。
羨ましいより”恨めしい”気持ちになりましたね。
なったところで何も出来ない環境なのでよりストレスが溜まる場合もありました。
多分この気持ちは私だけでは無いと思います。
そのストレスは何処へ向かうのか・・・内に溜めるか後輩をイビッたり・・・それもあったと思います。

今回はこんなもんで・・・

 

3 Comments

  1. A minute saved is a minute eander, and this saved hours!

  2. It’s good to get a fresh way of looking at it.

  3. Thanks for your publication on the vacation industry. I might also like contribute that if your senior thinking of traveling, it really is absolutely crucial to buy travel cover for elderly people. When traveling, senior citizens are at high risk of getting a healthcare emergency. Buying the right insurance policy package to your age group can safeguard your health and give you peace of mind.

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